ミューズ・アソシエイツ社長で、ネット社会の将来などに関して活発な文筆活動を続ける
梅田望夫氏は、近著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)で、「自らの志向性を強く意識し、『好きを貫く』ことこそが競争力を生む」などとして、「『好きを貫く』新しい生き方」の可能性が、ネット社会の進展ととも広がっていると指摘している。人々の関心や好みによってネット上に形成される「志向性の共同体」が、自己実現あるいは自己充足に重心をおいた新たな職業観を後押ししている、と言っているようだ。
ことはそう簡単じゃないよなあ、と思いつつも、力づけられるモノの見方ではあった。
このカフェバグダッドも、ネットというコミュニケーション手段がなければ生まれようがなかったし、「アラブ文化の紹介」を目指していく中で、「アラブ好きという同好の士」の結節点になりたい、という志をもってやってきたからだ。
インターネット、とりわけ、ブログやソーシャルネットワークサイトの登場は、同じ志向性を持つ人々の相互認知を信じられないほど容易にした。先日、かつて関わっていたアジアに関するミニコミ誌の仲間と久しぶりに一堂に会する機会があった。回顧談でも盛り上がったが、10年前、そのミニコミ誌は、一号当たり2000部弱を郵送で発送していた。ちらしを織り込み、一部づつ手作業で封筒に詰める発送作業は10人ほどで人海戦術であった。紆余曲折をて、現在はPDF版をメール配信する形で発行を続けている。やはり、かつて紙で刊行されていたミニコミ誌「
恋するアジア」も、現在は、ウェブサイトに移行した。
テクノロジーは、こうしたミニコミ的言論活動のあり方を大きく変えた。最近、たまたま神保町のアジア専門書店「アジア文庫」に行って妙な感慨にかられたが、昔、本棚にずらっと並んでいた(ような記憶がある)ミニコミ誌が、その数は減り、置いてあるものも何かくすんでいるように見えた。
ブログを利用することで、映画評や旅行記、食べ歩きなどのジャンルで、誰もが個人一人の単位で、「言論活動」をすることができるようになったことは事実だ。ネット上に、こうした一人ミニコミ誌がどんどん増えているという状況をどうとらえればいいのか。
梅田望夫氏の認識のように「志向性の共同体」の形成が容易になったというようにポジティブとらえることもできるだろう。また、ジャーナリストの
佐々木俊尚氏がいうようにメディアの「フラット化」であり、マスメディアの相対化という意義づけもできるかも知れない。
ただ、ネットにおいて、人間の物理的接触の重要性が、低下しているとすれば、それをどうとらえればいいのか、などの疑問が個人的にはある。筆者のまわりには、「ブログ活動では、交流したことにならない」と考える人も少なくない。ネット社会の到来とともに提示されている「志向性の共同体」といった概念を、「現実のネット言論活動」の中で、検証していきたいと思っている。