アラビアン・ビューティの最近のブログ記事

素顔のヨルダン王妃

| コメント(20) | トラックバック(0)
ヨルダンのラニア王妃を間近に見たことが一度ある。2003年春、首都アンマンのダウンタウンに、政府が設立した女性起業家向けインキュベーター・オフィスが開幕した日だった。高級ブランドと見られるが、割と普通のキャリアウーマン系の装いで、ヨルダン軍の護衛を何人か引き連れて、会場のインキュベーター・オフィスに姿を現した。


ラニア王妃は、会場にいた起業家の卵たちと気さくに雑談を始めた。起業家の卵のほうも、格段緊張したり、気後れしている様子もない(写真)。

ヨルダンの英字紙記事を日本語にして紹介している「Jordan Today」の
この記事
によると、ラニア王妃は、この手のイベントに、かなり頻繁に顔を出しているみたいだ。

ちなみにラニア王妃は、クウェート生まれのパレスチナ人。ヨルダン国内の人口の6割を占めるパレスチナ人の反イスラエル、反米感情が、イスラエルと和平を結び、親米路線を取るヨルダン国家に向けられるのを回避する「安全弁」的な役割も担う。

こんなサイトに、ラニア王妃のプロフィールが。


NHK教育テレビで10月から「アラビア語会話」が始まった。講師役は、女性が、数多くのアラビア語教本著者として知られる師岡カリーマ・エルサムニーさん(写真左)と東大建築学科博士課程在学中のラナ・デュベイシさん(写真右)、男性が大東文化大講師、モーメン・アブドーラさんという布陣。こんなところでばらしていいかわからないが、ラナさんは、大の水タバコ(レバノン流)ファン。師岡さんは、イラクが生んだアラブ音楽界のヒーロー、カーゼム・サーヘルの熱狂的ファンである。いずれ、カフェ・バグダッドにも登場願えれば、と思っている。ちなみに、日本人の「学習役」が、故柳家小さん師匠の孫で落語家の柳家花緑。アラビア語に落語、というのも考えようによっては絶妙か。喜劇映画やノクタ(小話)といったアラブ世界の笑いを花緑氏が、今後どのように吸収するか、も焦点だろう。まったく初めての人々には、アラブ文字はとっつきにくい、との判断からか、番組の出だしでは、親しみやすさに力点を置いているようだ。
次回以降のお楽しみだが、番組内のスキットには、カイロ大学日本語学科卒業で、お茶の水女子大に留学経験のあるナハラ嬢も出演予定。カイロ在住の一部日本人に熱烈ファンを持つ美女である。私はNHKの回し者ではないが、この点も乞うご期待、だろう。


【4日連続1日1000アクセス突破記念】
2003年の冬、イラクの首都バグダッドの高級住宅街、マンスール地区で出会った女子高生。「フセイン政権が崩壊してとても幸せです。将来は歯科医になりたい」とはつらつと話した。


【2日連続1日1000アクセス突破記念】2004/7/7
パレスチナ自治区ガザの地中海に面した「ビーチ・ホテル」で働いていたエジプト人の美女。ガザには、出稼ぎのエジプト人も少なくない。エジプトに住むパレスチナ人もいるが、生粋エジプト人もいる。働き口を求めて、戦火の地に働きに来るというのも皮肉だが、平和なエジプトには、ガザの人々よりも貧しい人たちがいる、という現実がそこにはある。


【3日連続1日1000アクセス突破記念】2004/7/8
イラク北部のクルド自治区最大都市スレイマニヤのスレイマニヤ大学キャンパスで、試験前、ノート交換などをする女子大生たち。クルディスタンの中でも、スレイマニヤは世俗的で自由な空気にあふれ、スカーフをかぶる女性の姿も多くはない。


【ブログ開設以来初の一日1000アクセス突破記念】2004/7/6
 エジプトの美しい港町・アレクサンドリアの美女。エジプト映画界の巨匠・ユーセフ・シャヒーン監督の「アレクサンドリア三部作」を見れば、この街への憧憬が高まること請け合い。さあ、アレキへ出かけよう。海辺で水パイプ(シーシャ)の楽しみもあります。
 ちなみに、中町信孝氏のブログに、ユーセフ・シャヒーン公式サイトの情報がありました。ご参考まで。
 「三部作」の一つは「アレキサンドリア WHY?」。パリではDVD版を売っていた。


ヨルダンの首都アンマンのホテルで働いていたタマーラ・ハッダードさん。キリスト教徒。油絵が趣味で、ヨルダンの砂漠を描く風景画から、抽象画までなんでもこなす。仕事の合間に注文を受けて絵を描いていたが、ホテル・ウーマンとの両立が難しく、2004年春、ホテルを退社し、画業一本にすることに。彼女が描いた、ヨルダン南部の「ペトラ遺跡」の絵は、カイロのとある場所に、今も飾られている。


ヘバは、パレスチナ自治区ガザ生まれの女子大生だった。ジャーナリストを目指して、ガザの大学に通っていた。フランスのテレビの現地スタッフの助手もしていた。英語も達者だったし、きっといい記者になると期待していた。だけど、2001年、突然、結婚してパリへ渡った。フランス在住のパレスチナ人と華燭の典をあげたのだ。前年から始まったインティファーダ(パレスチナ人ほう起)続くイスラエルとの武力衝突に疲れてしまったのかも知れない。


このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちアラビアン・ビューティカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはことば・文学です。

次のカテゴリはイラン(IRAN)です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261