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バーレーンの首都マナマで日本時間4日未明に行われる2006年W杯最終予選日本?バーレーン戦について、同国英字紙「ガルフ・デイリーニューズ」(電子版)が、日本戦勝利は「(達成)可能な任務」との見出しをかかげ、決戦直前の情勢を伝えている。写真は、同紙サイトから。

当該記事

それによれば、4万に達すると見られるバーレーンサポーターの合言葉は「可能な任務」。日本戦に勝利すれば、悲願であるW杯初出場に近づく、と予想する。
小野骨折については「良い知らせ」として、バーレーンに有利な要素だとした。



現地時間6月3日夜(日本時間4日未明)にバーレーンの首都マナマで行われる2006年W杯最終予選日本?バーレーン戦。バーレーンの英字紙「ガルフ・デイリーニューズ」(電子版)が、バーレーン代表チーム監督のドイツ人、ヴォルフガング・ジドカ氏のインタビューを中心に試合の行方を占う記事を掲載している。

当該記事(写真も同紙HPから)

それによれば、ジドカ監督は、日本戦の勝敗の行方について「もし我々がプラン通りのプレーをすれば、日本を破れると信じている」と、自信に満ちた発言をした。

また、バーレーンの暑さについて、「両チームを悩ませると思うが、日本では今20?25度ぐらいだろう。ここはすでに40度あり、湿度も高い。高温下での試合は、我々の望むところ」と語った。


日本が1対0で辛勝したが30日夜の2006年W杯最終予選のバーレーン戦。試合前、ストライカー、フセイン・アリの自信満々のコメントを掲載したバーレーン紙「ガルフ・デイリー・ニュース」(電子版)は、31日付で、いわゆる戦評記事を、わりと淡々と書いている。

記事

その記事は、日本のジーコ監督が「北朝鮮とのホームゲームiで2対1で勝ち、先週テヘランで(のイラン戦で)敗れたため、強烈なプレッシャーにさらされていた」、と紹介。

さらに、試合のターニングポイントは、バーレーンのゴールキーパー、アリ・ハサンが好セーブしたFW鈴木のシュート(57分)だったと解説する。
「この際、もう1人のストライカー高原は、リバウンドのボールにくらいつき、さらに10分後、高原の左足のシュートは、わずかにゴールを外した。(だが)実際に日本が事態を打開したのは、サルミンが、中村からのフリーキックの球をパニック状態でオウンゴールした瞬間だった」

記事のタイトルは「不運のバーレーン」。

(写真は、バーレーンの首都マナマのショッピングセンター前で、自慢の赤いメルセデスとともにポーズをとるバーレーン人男性。本文と写真は関係ありません。cカフェバグダッド)


強気のバーレーン

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2006年W杯最終予選のバーレーン戦が30日夜、埼玉スタジアムで行われる。
バーレーン紙「ガルフ・デイリー・ニュース」(電子版)は、先の北朝鮮で2得点をたたき出したFWフセイン・アリの、「2対1」で勝つとのコメントを紹介している。

「ガルフ・デイリー・ニュース」の記事

それによると、バーレーン代表チーム監督のドイツ人、ヴォルフガング・ジドカ氏は、今回、アラ・フバイル、ラシード・ジャマルの主力2選手が出場停止になることについて、日本側も小野選手が出場停止になることを引き合いに出し、「これで、対等だ」と強気の発言。
北朝鮮戦で、2ゴールをあげたフセイン・アリ選手も、「日本は多くの好選手がいるが、私がまた2がゴールをあげ、2対1で勝つ」と語った。

(写真は、バーレーンの首都マナマのショッピングモール内にある「スターバックス」でくつろくバーレーン人。写真と本文は関係ありません。cカフェバグダッド)

前回北朝鮮戦のデイリースポーツのフセイン・アリ選手に関する記事


次はバーレーン戦

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サッカーの2006年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の次の対戦相手は、ペルシャ湾岸の小島国、バーレーン。27日の「テレビ朝日」サンデープロジェクトが、昨年のアジアカップ得点王、アラ・フバイルの状態などに関して、バーレーン取材結果を行い、それを放映した。

今月2日付けのアジアサッカー連盟のウェブニュースによると、アラ・フバイルは、バーレーンの病院で左ひざの手術を行い、回復までに6か月かかると診断されたという。

アジアサッカー連盟のウェブニュース

これに対し、テレビ朝日は、バーレーンの首都マナマ郊外にあるというフバイル選手の自宅に突撃取材を敢行。以前、イランのアジジ選手がやったような、「偽装負傷作戦」を、フバイル選手が行っているのでは、との疑惑を持っていたようで、手術の原因となった負傷があったとされる試合のビデオを流し、そこには明確な負傷場面がないことなどを挙げ、「偽装説」をことさらに強調してみせる。

取材に応じたフバイル選手は、テレビカメラの前で華麗なリフティングを披露するなど、手術後の順調な回復ぶりを披露した。だが、本人は、「6月の(バーレーンでの)日本戦には間に合わせたい」と語り、養生中であることを強調した。

手術を行ったことは事実だろうし、手術から一か月弱でリフティングをすることは、別に不自然なことではないだろう。最後に、うじきつよしがフォローを入れていたが、テレ朝のレポートは、根拠の薄い疑惑説をことさらあおりたてるもので、フェアーな報道とはいえないだろう。

それは、ともかく、フバイル選手の自宅は、首都郊外の明らかに庶民地区だった。この国は、少数派のイスラム教スンニ派が、多数派のイスラム教シーア派を差別する構造が、あるが、フバイル選手は、間違いなくシーア派出身と見た。
テレ朝の報道では、「(ハマド国王の)民主化政策と軌を一にして、サッカーも強化された」と説明していたが、本当にそう言うことなのだろうか?まあ、国王が、国家統合の象徴として、サッカーにテコ入れしている、ということは、あるのだろうが、民主化(といえるか、そもそも疑問だが)とバーレーンサッカーが強くなっていることに本当に関係があるのだろうか。
バーレーンの「ガルフ・デイリーニュース」(ネット版)によると、さきの北朝鮮戦勝利の報奨金として、バーレーン政府は、1人あたり500バーレーン・ディナール(約18万円)を選手たちに払ったという。バーレーンサッカー協会のユーセフ・ハサン氏は、「対日本戦での選手たちにやる気を出させるためだ」と話しているという。


「生」で会ったことがあることもあって、このブログで紹介した、イランのアリ・ダエイ選手だったが、25日、イランの首都テヘランで行われた日本との試合では、見せ場を作ることができないまま、前半43分で途中交代した(写真上、テレビ朝日の映像から)。さる21日に36歳になった「アジアの大砲」もやはり、寄る年波には勝てないのか。国際Aマッチ104ゴールの世界記録を持つ「皇帝」に対し、チーム内には「なぜ彼を使うのか」という不満もあるとの話もある。イランサッカーの功労者として試合に出さない訳にはいかないが、勝負どころに入る前にお引き取りねがった、というのが、本音だろうか。


で、イランの2ゴールは、すべて、FWハシェミアンがたたきだした。
(写真は、前半25分、イラン一点目のゴールを決め、MFマハダビキア=右=に祝福されるハシェミアン、テレビ朝日のテレビ映像から)

閑話休題。
あるサッカー通イラン人から聞いた、イラン主要選手の出身地。
ダエイ=北部アルデビル
アジジ=北東部マシュハド
ハシェミアン、マハダビキア、カリミ=テヘラン
カエビ=南部アフワーズ

ダエイは、アゼリー(トルコ系)で、カエビはアラブ系。アラビア語も話すという。
さまさせまな民族のるつぼであるイランという国を、反映している。



引き続きサッカー・イランチームのネタ。23日夜のテレビ朝日「報道ステーション」で、ダエイ特集が放映されていた。イランでのダエイ人気はすごいようだ。イランの子どもたちが「ダエイ、ダエイ」と大騒ぎする映像が紹介される。そして、まるで、アケメネス朝ペルシャのダリウス大王の玉座のような(?)立派なイスに座り、テヘランの豪邸でインタビューに応じるダエイ。「日本の弱点は分かっている」「(DF中澤を)ドリブルで抜くのは簡単」と、日本チームを挑発するかのような強気な発言が続く。本人の予想は「2対0でイランが勝つ」だそうだ。
最近の週刊「サッカーダイジェスト」だったと思うが、彼の長文のインタビューを載せている。36歳、最近結婚したということでアブラがのっている感じもうかがえる。

サンスポのダエイ関連記事

なお、本日発売の隔週刊スポーツ誌「NUMBER」最新号には、ドイツ生まれで、ドイツとイランの二重国籍を持つMFザンディの特集「ドイツ育ちの穏密兵器」が組まれている。ザンディの父はイラン人、母はドイツ人。さしずめ、サッカー界のダルビッシュ有。イケメンだし、境遇が極めてユニークだ。ドイツ生まれの選手というのは、トルコチームあたりだと、珍しくはないのだろうが。
(映像は、テレビ朝日から)

週刊サッカーダイジェスト
隔週刊スポーツ誌「NUMBER」


サッカーの2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会アジア最終予選の日本?イラン戦が25日に迫った。日本チームが警戒すべきイラン選手は、多々いるが、そのトップに位置するのが、アリ・ダエイ(写真)だろう。「ダエイ、高い」の実況も記憶に新しい、イランの国民的英雄の大型ストライカーだ。

アリ・ダエイのプロフィール

実は、「生ダエイ」に会ったことがある。写真左端でイラン国旗を持っているのは筆者の手である。撮影日は、2001年10月21日、撮影者は筆者の知人I氏。場所はペルシャ湾岸の小国バーレーンのとあるホテルだった。
実は、この日はダエイにとっても、イランチームにとっても、運命的な日だった。この写真が撮影される数時間前、イランチームは、2002年ワールドカップ(W杯)出場権をかけたアジア最終予選で地元バーレーンとの戦いを行ったのだ。
 その結果は・・・ゴールは、後半ダエイが決めた1本だけで、1?3で敗れてしまったのだ。

サッカージャーナリスト大住良之氏の記事参照

イランはこの敗戦で、予選A組首位の座をサウジアラビアに明け渡すことになった。熱狂的なサッカー好きの国イランの首都テヘランではこの夜、敗戦に怒ったファンが暴徒化し警官隊と衝突、約800人が逮捕される事態にまでなっていた。

一方、そのころ、イランチームは、バーレーンに敗れた失意を胸に、宿舎となっていた首都マナマ中心部のホテルに戻っていた。筆者は、そのとき、たまたまこのホテルのロビーにいて、ダエイにばったりでくわしたのである。確かに、写真にもにじみ出ているように、ダエイは、不機嫌だった。というか、むしろ、イラン国民の怒りを予想し、怖れのようなものを感じていたのかも知れない。だが、無邪気にイラン国旗とともに記念写真を求める一東洋人の頼みを、はねつけることはなかった。

このバーレーン戦で、イランの流れが変わった。紆余曲折はあったが、イランは、結局、日韓共催の2002年W杯への出場を果たせなかった。だが、焦燥にかられるのがむしろ自然なあの日の試合後、笑顔こそ見せなかったものの、記念写真に応じたダエイの度量の大きさには、今更ながら驚嘆するのである。36歳となり、峠をすぎたとも言われるダエイだが、その精神力は、またまだ充分警戒するに足るものだと思うのである。



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