2005年2月アーカイブ

カフェバグダッド第四弾「イラン映画と詩の蜜月」が27日、東京・江古田のイラン料理店「ラリン」で行われた。参加者は41人。イラン文学研究家のスズキシュリさんが、イラン社会で重要な位置を占める詩と、イラン映画の関係について、夭折の女性詩人フォルーグ・ファッロフザード(1934?1967)に焦点を当てて話をした。紹介した映画は、アッバス・キアロスタミの「風が吹くまま」、アボルファズル・ジャリーリーの「少年と砂漠のカフェ」、モフセン・マフマルバフの「サイレンス」の三作。作中で、直接、間接的に登場するフォルーグの詩を、イラン人留学生マリヤム・ハラジさんが朗読し、参加者らは、流麗なペルシャ語の響きに聞き入った。ウズベキスタン風ポロウ(ピラフ)の食事の後、テーブルには、水タバコが配置され、中東のカフェさながらに、甘い水タバコの煙が会場に漂った。
参加者の一人は、「これまでのイベントに比べても、皆が真剣にトークに聞き入っていた。日本での、イラン映画や文学などイラン文化への関心の高さを実感した」と話していた。参加いただいたみなさん、どうもありがとうございました。
鈴木さんの今回の話に関連したイラン映画と詩の関係についての記事が、鈴木さんらが編集した「イランを知るための65章」に収録されています。関心のある方は参考にしてください。


イベントで、女性詩人フォルーグ・ファッロフザードの詩の日本語訳を朗読するスズキシュリさん(右)と、フォルーグの詩をペルシャ語で朗読した、マリヤム・ハラジさん。マリヤムさんは、イラン北東部のシーア派聖地、マシュハドの体育大学を卒業後、来日、現在首都圏の大学で日本語を勉強しながら、日本の体育系大学への進学を目指している。得意なスポーツは、バレーボール。
イランで、詩を朗読する機会は「ほとんどなかった」とマリヤムさんは言い、「いい経験になった」と話していた。


イベントには、イラン国営通信(IRNA)東京支局記者、モクタリ・ダヴィッド氏も参加、助っ人として、会場から出た質問に、イラン人の目から答えていただいた。「アッバス・キアロスタミ監督のイラン国内での受け止められ方は」との問いに対し、モクタリ氏は「キアロスタミ監督の海外の映画祭などでの所作が、イラン当局が苦々しく思っていることは間違いないし、作品についても、「桜桃の味」でイスラム教が禁止している自殺の問題を扱ったていることなどを、決して快く思っていない。そうしたキアロスタミの(芸術家としての)厳しい立場を国民は、かなり同情的にみている」などと語った。イスラム共和国体制という自由な芸術活動にとって厳しい環境が、キアロスタミの映画制作のバネになっている、との見方もあるが、イランの映画監督と、当局、そして国民の関係について、参考になる話だった。
モクタリ・ダヴィッド氏は、昨年秋、イランの笑い話を集めた「イラン・ジョーク集」を著している。


カフェバグダッド第四弾イベント「イラン映画と詩の蜜月」を行うにあたって、イラン映画のことをいろいろ調べたりしていたら、日本に紹介されるイラン映画のカテゴリーに偏りがあるような気がしてきた。もっとも、これは、以前に指摘したアラブ映画でも、フランス映画でも、同じ傾向があるのだろうが。
1996年に東京・渋谷のユーロスペースで開かれたイラン映画祭出品作の短評を、やまもとぶんじさんが書いている。ラインナップを見ると、この映画祭の上映作品のバラエティに驚く。キアロスタミ、マフマルバフなど、今、日本でイラン映画を代表している監督の作品のほかにも、実にさまざまな作品が並んでいる。「牛」で知られる社会派の巨匠メールジュイ監督によるイラン版「人形の家」とも言われた「サラ」、舞台劇のようなセリフ回しの「トラベラーズ」(バハラム・ベイザイ監督)。「パーティー」(マスード・キミヤイー監督)なども、いってみれば、キアロスタミやマフマルバフ作品とは、やや毛色の異なる「大衆映画」である。
こうした「大衆映画」は、その後の世界的なイラン映画ブームの中で、日本での、あるいは、国際的評価をかちえなかったのだ、といえば、そういうことなのだろう。だが、今、思えば、10年前に上映され、その後、国内でほとんど上映されることがなくなった脂っこい作品群がなつかしい。

大阪外国語大ペルシア語専攻のページに、ベイザイ監督の来日講演の様子が紹介されていた。監督は、「映画雑誌の人気投票で常時ベスト5に入るほど、国民的人気のある監督」なのだそうだ。
ブログ「イランという国で」は、「イラン映画のこと」と題した記事で、キアロスタミ監督は、「イランではそれほど人気は高くありません」「イラン国内でも海外でも評価が高いのは、マジード・マジーディー(「運動靴と赤い金魚」の監督)くらいではないかと思うほどです」と指摘している。
(写真は、「少年と砂漠のカフェ」(アボルファズル・ジャリーリー監督)の一シーン。(c)2001 バンダイビジュアル・オフィス北野)

ブログ「イランという国で


続いてモクタリ・ダヴッィド著「イラン・ジョーク集」から。笑い話としては多分世界共通の「各国人モノ」。題して「もし五人集まれば」。

アメリカ人は・・・競争する。
フランス人は・・・同時にしゃべりだす。
イタリア人は・・・着ている服について話す。
ドイツ人は・・・自分の国の政治について話す。
イラク人は・・・クーデターを練る。
アフガン人は・・・金がなければ働く、あれば寝る。
元ソ連系諸国は・・・オレンジジュースを一本買って、五人で分けて飲む。
エジプト人は・・・水タバコを吸う。
ロシア人は・・・互いに賄賂の話を持ち出す。
アラブ人は・・・四人が手をたたいて、残りの一人が踊る。
日本人は・・・五人集まるのは無理。なぜなら、少なくとも三人は忙しいから。
インド人は・・・当然踊るか、互いの踊りを見るか、映画見るか。
シリア人は・・・互いに秘密警察かも知れないと疑って、すぐに別れる。
韓国人は・・・五人で会社を作って、日本の製品をコピーする。
北朝鮮人は・・・もちろん、「金正日万歳!」
イラン人は・・・意見がばらばらのため、話がまとまらずに別れる。

と、こんな感じ。イラン人は、エジプト人をよっぽど水タバコ好きと見ているのか、など、
イラン人から見た各国人観が見えて興味深い。
(写真は、エジプト・カイロのカフェで、冬の寒風の中水タバコを吸う男性。(c)カフェバグダッド)



日本ハムのダルビッシュ有投手(18)が、キャンプ中に喫煙した件で、球団は、謹慎と、社会貢献活動参加の処分を発表したという。
関係記事
日本で二十歳未満の喫煙は違法だが、ダルビッシュ投手の父の故郷であるイランでは、どうなのだろう。水タバコ(ゲリユーン)もポヒュラーな国だが、日本とはどう違うのだろう。
仙台市の医院のとあるサイトに世界各国の若年者の喫煙制限一覧が載っているが、イランに関する情報は残念ながら、ない。

答えにつながるかは分からないが、イラン国営通信(IRNA)東京支局記者のモクタリ・ダヴィッド氏が書いた「イラン・ジョーク集」に、「現代と子どもたち」と題した、少年と喫煙に関するジョークが載っている。

ある日、父親が息子に言った。
父「お前も、もう十六歳になった。そろそろタバコを吸い始めるだろう。そのときは、ちゃんと父さんに話すんだぞ。他の人に言われたくないからな」
息子「父さん、本当言うと、ぼくは一年前にタバコを止めたんだ」
(モクタリ・ダヴィッド著「イラン・ジョーク集」より)




多分日本で最も有名なイラン映画監督は、アッバス・キアロスタミだろう。そもそもの今の日本でのイラン人気も、1990年代前半に、今はなき、六本木WAVE地下にあった映画館「シネ・ヴィヴァン」で、キアロスタミ監督の「オリーブの林を抜けて」が上映されたのが、嚆矢だったといえるのではないか。1996年に東京・渋谷のユーロスペースで開かれた「イラン映画祭」から10年・・・日本でのイラン映画の浸透ぶりには感慨深いものがある。
昔話はともかく、カフェバグダッド第四弾「イラン映画と詩の蜜月」では、その蜜月の好例として、キアロスタミの「風が吹くまま」を紹介する。
 この作品では、主人公が、地下の暗闇の家畜舎で、乳搾りをしている少女に、女性詩人フォルーグ・ファッロフザード(1934?1967)の「贈り物」という詩を朗詠してきかせるシーンがある。日本語字幕では名前が「フルーク」となっているが正しくは「フォルーグ」だ。いずれにせよ、この映画の中でも、最も印象的なシーンの一つだろう。都会からやってきた俗っぽい人物として描かれる主人公に、この詩をうたわせるキアロスタミ監督のストーリー作りも、いつもながら意味ありげである。(主演男優のインタビュー
 カフェバグダッド第四弾のゲスト、スズキシュリさんは、このフォルーグを研究するイラン文学研究家。イベントでは、イラン人女学生による詩の朗読も交え、イランにおける詩と映画の関係について、お話いただけることだろう。
(写真は、DVD版「風が吹くまま」から)

Cinema日和」さんにトラックバックさせてもらいました。



国際交流基金の「アラブ映画祭2005」のプレイベント第2弾(2月11?13日)の2日目に行われた、アラブ映画研究家佐野光子氏の講演「レバノン映画史」を聴いた。およそ100年の歴史を持つレバノン映画の流れを、各時代の作品の映像もおりまぜながら、俯瞰(ふかん)しようという、日本では空前の講義だったと思う。
一国の映画の歴史が、その時代、時代の政治・社会的状況と密接に関係していることが、よく分かった。レバノンでいえば、エジプトでのナセル革命をきっかけに高まったアラブ民族主義や、レバノン内戦などが、映画界にも大きな影響を与えたのだろう。
 1963年から71年までのエジプト映画産業国有化で、アラブのハリウッドとまでいわれたエジプト映画界が一時的に衰退し、変わってレバノン映画が隆盛を誇った、などという話は興味深かった。
 ただ、一点注文をつけるなら、旧宗主国であり、映画の本家・本元であるフランス(映画)とレバノンの関係について、もう少し言及していただけたら、と感じた。
 いずれにせよ、アラブ映画を真正面に見据えた研究者である佐野氏が、今回のイベントで本格デビューした意味は、日本へのアラブ文化紹介という側面からみても、小さくないだろう。
 ちなみに、佐野氏は、2005年 3月 18日(金) 19日(土)、東京・神田駿河台のアテネ・フランセ文化センターで開かれる「リアル/アラブ映画祭」の運営スタッフの一人。ここでは、日本ではこれまでほとんど紹介されていなかった、アラブの喜劇映画が上映される。エジプトの喜劇王、アーデル・イマームの代表的主演作「テロリズムとケバブ」だ。こうした、これまでのアラブ文化紹介の「偏向」に正面から取り組む姿勢には、心から敬意を表したい。
 (写真は、国会議員選挙のポスターが貼られた、内戦で破壊されたレバノンの首都ベイルートの建物。2000年夏撮影。cカフェバグダッド)


2月27日日曜日の午後1時30分から行われるカフェバグダッド第四弾「イラン映画と詩の蜜月」では、「詩」という角度からいくつかのイラン映画を紹介したい思っているが、その一つが、アボルファズル・ジャリーリー監督作品「少年と砂漠のカフェ」だ。この作品のラストシーンは、あるペルシャ語詩の朗読で終わる。
 この詩の作者であり、映画中の朗読の声の主でもある女性詩人が、フォルーグ・ファッロフザード(1934?1967)。今イベントのゲストであるイラン文学研究家、スズキシュリさんが主な研究の対象にしている、イラン現代文学史を代表する詩人だ。彼女が朗読するのは、代表作「新たなる生」の最終聯(れん)。
スズキさんは自編著の中で、この作品のフォルーグの詩朗読で終わるラストについて、「主人公の少年の新たなる旅立ちを予感させる効果を出している」と評価している。
映画という表現メディアに、詩をコラボレートさせ、しかも作品の重要なメッセージを担わせる、という手法は、詩というもの人生の重要部分を占めるイランでは、さほど不自然なことではないようだ。
「少年と砂漠のカフェ」は、バンダイビジュアル(株)がビデオ、DVDで発売している。
参考にフォルーグ・ファッロフザードに関する英語ウェブサイト
写真は、映画の一シーン。(c)2001 バンダイビジュアル・オフィス北野




あるイラク人の婚約

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バグダッドからうれしい知らせが届いた。バグダッド在住の友人、ジャマール・イスマイル氏が婚約したというのだ。外国報道機関の記者として働くジャマール氏は、現在34歳のイスラム教スンニ派教徒イラク人。お相手は、イラク国内少数派のトルクメン人で、ジャマール氏の兄弟が勤務するとある省庁で働いている女性だという。

ジャマール氏が送ってきてくれた「婚約宣言文」を、ジャマール氏らが営むカフェバグダッドの支店
カフェ・バグダッド・アネックス」上で、本人の承諾を得た上で、そのまま(英語)紹介したい。サダム・フセイン政権時代、イラク戦争後の混乱状況を乗り越えてのゴールイン(婚約者と出会ったのはつい最近と見られるが)と思うと、彼ならずとも、感慨深い。

宣言文

ジャマール氏のプロフィール


カフェ・バグダッドのホームグラウンドである、東京・江古田のイラン料理店「ラリン」が、情報誌「東京ウォーカー」に紹介された。池袋沿線「新発見の店」として。「トルコ・ペルシャ料理」と紹介されているが、このお店、メニューはおおむねイラン料理で、オーナーはイラン出身である。日本国内のイラン料理店には、ここ同様「トルコ」も冠する店が多い。日本ではトルコ料理を打ち出した方が客入りがいい、と当のイラン人オーナーたちが考えていることを、示唆している。残念なことだが、実際事実かも知れない。その辺の感覚が変わっていく(あえて変える必要もなかも知れないが)には、イラン料理ファンの層拡大が必要なのだろうなあ・・・。


2月11日から3日間の日程で行われた国際交流基金の「アラブ映画祭2005」のプレイベント第2弾で上映された「西ベイルート」(ジアド・ドゥエイリ監督)は、レバノン内戦(1975?1990)初期のベイルートを舞台にした作品。「西ベイルート」と呼ばれるベイルートの西半分を占めるイスラム教徒地区に暮らす世俗的な同スンニ派一家の、内戦にむしばまれていく生活を軸に話は進む。
主人公の少年が回す8ミリカメラは、彼の「視線」のありかのメタファーだろう。彼がカメラを回す対象は、ドアのすき間から垣間見るグラマーな女性から、西ベイルートでイスラム教ドゥルーズ派の指導者カマール・ジュンブラート暗殺に抗議しデモ行進する人々、そして、内戦に神経をすりへらす母親へと変わっていく。
最後のシーンでは、父が長く弾いていなかったアラブの民族楽器ウードを手に取り、妻に奏でて聞かせるシーンがある。内戦という絶望状況を救うものは、モザイク国家レバノン統合の数少ない手がかりとなりうる「アラブ(主義)」と、そして家族の絆である、という監督の暗示があった、と考えるのは、筆者の深読みだろうか。
会場には、NHKテレビ「アラビア語会話」で、師岡カリーマさんらと共演する、ラナ・デュベイシさんとその友人の姿もあった。久しぶりの劇場で見る故郷、レバノンの映画を堪能されたことだろう。上映中、ラナさんサイドから時折もれた、笑い声から察すると、日本語字幕を追う日本人とはまた別の、レバノン人からのこの映画の面白い点というのがあったのだろう。機会があれば、その辺もぜひ聞いてみたい。
ちなみに、映画に登場するいつも怒っている太った女性が、「南から来た」と言われてバカにされるシーンがある。パレスチナ難民なのか、レバノン南部に住むイスラム教シーア派教徒なのか、私はわからなかったが、上映後、ラナ氏に確認したところ、「あれはシーア派よ」とのことだった。ベイルート市民の一般的感情に関して、ひとつ勉強になった。
(写真は上映時に無断撮影しました。関係者の方、すみません)

闇の奥からの光」さんのブログにトラックバックをしました。


国際交流基金の「アラブ映画祭2005」のプレイベント第2弾が、2月11日から3日間の日程で行われた。注目のパレスチナ人監督ミシェル・クレイフィが共同監督した「ルート181 パレスチナ?イスラエルの旅の断章」(13日上映)は、期待を裏切らない秀作だった。無数のユダヤ人、パレスチナ人の声と表情を拾い上げながら、要約することなど、どだい不可能なイスラエル・パレスチナ問題の歴史と今を一作品にまとめあげたクレイフィらの才能と気概に驚嘆するしかない。1500円で、これだけのレベルの作品を見られるとは、安すぎる。上映した国際交流基金の尽力にも改めて敬意を表したい。
 タイトルは、イスラエル国家樹立宣言の前年、1947年に、パレスチナ国家とユダヤ人国家の分割ラインを定めた国連 決議第181号、いわゆる「パレスチナ分割決議」から。パレスチナ人クレイフィと、ユダヤ人、エイアル・シヴァンの両監督が、この分割ライン(現在のイスラエルとヨルダン川西岸・ガザとの境界線とは違う)沿いに、イスラエル南部やガザ地区から、ヨルダン川西岸を抜け、イスラエル北部(ガリラヤ地方) までを縦断し、そこに暮らす人々の表情を追った270分の大作だ。
 「南部」「中部」「北部」の三部に分かれ、途中二回の休憩をはさんだものの、ぶっ通し上映。最初の南部は、やや冗長な印象もあり、風邪薬が効いて居眠りしてしまったことを正直に告白するが、中部、北部と進むにつれ、息をつかせぬ展開で、イスラエルという存在の正当性を否定し続けるレバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」の黄色地に銃が描かれた旗がはためくイスラエル・レバノン国境地帯の映像が映し出されるフィナーレまで、ぐいぐい引き込まれていった。
二人の監督は、ある時は、話者を挑発し、ある時は、沈黙し、話者の心の底からの叫びを引き出している。
ヨルダン川西岸で、「テロ防止」を名目とした道路封鎖の任につくイスラエル兵が、「ここは、カフカの「審判」の世界だ」と吐露するシーンなどは、イスラエル軍内に少なからず満ちている厭戦気分を映し出し、なにやら、レマルクの「西部戦線異状なし」を想起させる。
モロッコから移住し、イスラエル北部ガリラヤ地方に五十年暮らしてきたユダヤ人老婆が、ポツリと漏らす「ここには、全てがあるようで、何もない」という言葉には、威勢だけはいい凡百の「迫真レポート」をはるかに凌駕する「真実」がある。暑いが、風が乾いて冷たい、ガリラヤ地方の空気まで伝わってくる映像美も心にしみたが、この映画のもっとも本質的な点は、誤解を恐れず言えば、パレスチナとイスラエルを隔てる建設中の「壁」そのもののシーンでもなく、イスラエルの攻撃で自宅を破壊された「テロリスト」の家族でもない。ユダヤ人として、イスラエル国家の中で暮らしつつも、そこはかとない不安や疑問を感じつつ暮らす人々や、あるいは、生活のため、「壁」建設に従事するパレスチナ人などから垣間見える「苦悩」と「ゆらぎ」だ。それは、ステロタイプな報道や政治的スローガンが表現するには、あまりにも複雑すぎるものだが、クレイフィらの圧倒的な胆力と視点が、それを描ききった。
それにしても、ヨルダン川西岸からイスラエル北部のオリーブの林や、カーキ色の丘陵が織りなす風景の美しさよ。世界の中で最も美しい景色ではないかと思う。ここで起きている現実との齟齬に、ただ、とまどうしかない。
(写真は、映画作品と直接関係はないが、2002年4月、イスラエル軍のヨルダン川侵攻作戦で廃墟になった西岸北部ジェニン難民キャンプ)

「smacks dialy」さんのブログにトラックバックしました。



【東京水タバコカフェシリーズ】
ボルボル(Bol Bol)(杉並区高円寺北3-2-15 電話03-3223-3277)
「ペルシア・イタリア料理」と冠したJR高円寺駅近くのレストラン。室内には、イラン名産のペイズリー柄テーブルクロスが飾られ、まあ、なんとなくイラン風。ここで週末に登場するベリーダンサー女性と「友だち」という客なのか、店側なのか微妙なオーストラリア人のおにいさんが、水タバコ(水たばこ)をセットしてくれたり、話し相手になってくれたりして、なんとなくまったりとした空気が漂う。肝心の水タバコだが、タバコ使用量が、過去私が、日本で見た中では最も少なく、これでは、いくらなんでも、十分がせいいっぱいだろう、という量。もちろん、たっぷりすぎるのも駄目なのだが・・・。居心地は悪くないので、今度、タバコを持ち込みで吸ってみようか・・・。

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邦題「フレンチなしあわせのみつけ方」というフランス映画の試写会に行って来た。配給・宣伝元であるアニープラネットさんの厚意でである。写真もアニープラネット提供。
2004年フランス104分
監督 イヴァン・アタル
主演 シャルロット・ゲンズブール イヴァン・アタル

4月に東京・渋谷のシネ・アミューズで公開予定。カフェバグダッドでなぜフランス映画紹介なのか。私の個人的趣味も否定しないが、実は、この映画、中東とのつながりが2点ある。
1.監督・主演のイヴァン・アタル(実生活でもシャルロット・ゲンズブールの夫)は、イスラエル・テルアビブ生まれである。
2.映画の中でガブリエル役を演じるシャルロット・ゲンズブールが子どもと二人でバカンスに行った先は、どうも、エジプトのリゾートホテルである。



【ちなみに】
1.イヴァン・アタルを初めて見たのは、「哀しみのスパイ」(エリック・ロシャン監督)だった。この作品で、アタルは、イスラエルの諜報機関モサドのスパイに志願する主人公の在フランス・ユダヤ人を演じていた。まさにはまり役だった訳だ。この「哀しみのスパイ」、どちらかというと、「ダサ面白い」といった印象だったが、1994年カンヌ映画祭出品作。ちなみにこの年のパルムドールは「パルプフィクション」(クエンティン・タランティーノ監督)だった。もうひとつちなみに、「哀しみのスパイ」でスパイ役を演じた英国人女優サンドリーヌ・キベルランの秘やかなファンである。誰も知らない、か。

2.作品の中で、リゾートホテルに滞在するゲンズブールをナンパする男がウェイターに「ハサン!」と声をかける。ハサンは、アラブ人の名前である。また、ゲンズブール(だったかな・・)が「3200キロも離れて」と言うくだりがある。パリから3200キロの距離というと、どの辺か。「how far is it」というサイトで調べると、パリ?カイロは3220キロ。だいたいぴったりだ。だが、ゲンズブールがパリに帰るために飛行機に乗る空港は、いかにも田舎の空港といった風情。カイロではない気もする。感じとしては、エジプト南部ルクソールか、シナイ半島のリゾート地シャルムエルシェイクの空港である。いやいや、こんなところばかり気になるのは問題だ・・・。


そんなことよりも、映画の紹介である。(続く)



「アジアウェーブ」というアジア情報誌に、「カフェバグダッド」の生い立ちなどについての拙稿が掲載されました。同誌は、PDF形式の会員制メールマガジン。


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