風景画 Landscapeの最近のブログ記事

ガザを走るロバ

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イスラエルの入植地撤退で話題のガザは、いまだに運搬手段としてロバが幅を利かす社会だ。瀟洒な高層ビルとのコントラストは、そのまま、貧富の差が大きいガザ社会の現実を映し出す。地中海に近いガザ市内の高級住宅街には、豪華なヴィラが並ぶ一方、その間近に、貧しい人々が肩を寄せ合って暮らす掘っ建て小屋があったりする。イスラエルのガザ撤退を「勝利」とけん伝するパレスチナ自治政府だが、パレスチナ人内の富の偏在を生み出す汚職の撲滅や、人々が等しく恩恵を被ることができる民生政策など、課題は山積している。


らくだを食べる

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エジプト・カイロ郊外にあるらくだ市の風景。「砂漠の船」とも言われるらくだだが、エジプトでは、農耕用の労働力としても使われるし、食用にもなる。値段は羊肉よりやや安い。肉はやや固いのでひき肉にして、コフタ(ケバブ)にする場合もある。カイロの庶民地区では、らくだの肉や内臓などを軒先にぶらさげた肉屋を目にすることがある。


サダム・フセイン政権時代の2002年11月に行われた、フセイン大統領信任の国民投票。バグダッド中心部のアル・ラシードホテルには、フセイン大統領のさまざまな肖像画が展示されていた。確か、即売もしていたはず。


サダム・フセイン元大統領が、まだイラク指導者の地位にあった2002年秋にバグダッド市内で撮影した、元大統領の肖像画。肖像画でできた日陰で、老婆が休息している。当時、国内の至るところにあった元大統領の肖像画には、写真のような「世俗国家指導者」を体現した背広姿のもの、国民の部族長を体現したイラクの民族衣装(アラブ)ディシュダーシャ姿のもの、米国、イスラエルに対峙するイラク軍最高司令官を体現した軍服姿のもの、国内少数派への配慮を強調したクルド民族衣装のものなど、さまざまなバリエーションがあった。


暮れゆく2004年

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アラブ世界で日本の年末年始の雰囲気に近いのは、イード・ル・フィトルと呼ばれるイスラム教の断食月明けの祝祭の時期だろうか。2001年12月のイード・ル・フィトルの時、ガザ地区で、イスラエル軍によるガザ攻撃の取材をしていたが、戦乱のさなかにもかかわらず、街は、祭りのムードはあった。ガザ市中心部の市場は、買い出しに訪れた市民でごった返していた(写真は、色とりどりのお菓子を選ぶ人々)。まるで、年末年始の上野・アメ横のようなにぎわいだった。6月に立ち上がった「カフェ バグダッド」もまずは順調な足取りで2004年を越すことができそうです。来年も、ご愛顧よろしくお願いいたします。


アラファト・パレスチナ自治政府議長が死亡した。テレビ報道を見ていると、パレスチナ自治区全体が、議長への服喪の空気一色に包まれているようにも思えてしまうが、実際はどうなのか。現在自治区に滞在中の知人の写真家によると、どうも、そういう訳でもないらしい。死亡の直前、ガザから電話をくれた彼は、テレビで映し出された議長の肖像画を目にするわけでもなく「街は淡々とした空気だ」と言った。死者にむち打つのを好まないのは、日本もアラブ世界も同じで、表向きの非難は慎んではいるが、長びくイスラエルとの武力衝突を止めることのできないアラファト議長の指導者としての当事者能力を疑問視したり、権力を自身に集中させる独裁的スタイルを批判するパレスチナ人は、はっきり言って少なくはないのだ。イスラエル軍により、ラマッラの議長府に監禁状態にされた時も、議長への思いから議長府に駆けつけたパレスチナ人は、さほど多くはなかった。
独立国家への道は見えず、自治政府は腐敗だらけ、イスラエル軍の攻撃は続く・・・そうした閉塞状況の中で、パレスチナ人のうっぷんが、議長自身に向かう前に息をひきとったことは、ある意味では幸せだったのかも知れない。「パレスチナ解放の英雄」の呼称をなんとかつなぎ止めた、と言えるのではないか。
 写真は、2000年秋、第二次インティファーダぼっ発直後、ガザ地区で行われたパレスチナ各派合同のデモ集会に集まるパレスチナ人たち。アラファト議長の肖像がを掲げる人もちらほら見える。


2002年4月、イスラエル軍が大規模侵攻を行った直後のヨルダン川西岸ナブルスの床屋の様子。壁には、イスラエル軍兵士がスプレーで書いた「ダビデの星」が残されている。なんらかの目印に書いたものだろう。2000年秋に始まった第二次インティファーダ(対イスラエル蜂起)以降、恒常的にイスラエル軍の侵攻が繰り返されるパレスチナ。戦乱がなかば日常化した異常な状況の中でも、人々は、散髪し、カフェで紅茶を飲み、メシを食べる。鏡に映っているのは、撮影者たる筆者。


ガザ地区南部ハンユニス近く、イスラエル軍による爆撃で破壊された建物の前で、カメラにポーズをとるパレスチナ人の少年たち。ガザ地区の子どもたちは、例えば、ヨルダン川西岸の子どもたちに比べて、「わんぱく度」が高い気がする。劣悪な条件の難民キャンプで暮らす住民が七割。世界最高の人口過密といわれるガザの環境が、子どもたちを強く、たくましくするのだろうか。


パレスチナ自治区ガザのモスク(イスラム礼拝所)の壁面に掲げられた、自爆を含めた対イスラエル攻撃で死亡した「殉教者」の肖像画。2000年9月に第二次インティファーダ(反イスラエル蜂起)がぼっ発して以降、こうした肖像画が自治区の街のいたるところに目につくようになった。イスラム原理主義組織ハマスの支持が根強いガザでは、ハマスが主張するイスラエル全土のパレスチナ人への解放を目指して行われた対イスラエル攻撃は、イスラエル領内での住民を標的を含めた「テロ」も含めて容認する空気が強い。「国民皆兵のイスラエルに、兵士、民間の区別はない」と、主張する人も少なくなかった。


2002年4月にイスラエル軍が行った「ヨルダン川西岸大侵攻作戦」で、見るも無残に廃墟と化した西岸北部の主邑、ナブルスの旧市街の攻撃直後の様子。旧市街の中心部の、ナブルス名産のオリーブ石鹸工場などが密集する一角は、直径200メートルほどの瓦礫が散乱するサラ地になっていた。ここで起きた現実の不条理さとは対照をなすような、なだらかな丘陵の向こうから湧き上がる白い雲と青空の美しさが、胸にしみたことを改めて思い出す。


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